鉄道林の始まり

自然災害から鉄道を守る森「鉄道林」

大正7年頃の陸羽東線堺田構内
吹雪で埋もれた鉄道を除雪する作業員

1891(明治24)年、東京と青森をつなぐ東北本線が全線開通しました。しかし、頻発する地吹雪のため、冬の間の輸送非常に不安定でした。

雪よけの板塀などが設置されましたが、強風で倒壊したり蒸気機関車の火煙で燃えてしまったり、吹雪対策としては限定的でした。

そこで1893(明治26)年、東北本線の水沢と青森の間にふぶき防止林が設置されました。

日本で最初の鉄道を守る森「鉄道林」の誕生です。

鉄道林と本多静六

鉄道林の成立については、東京帝国大学(現在の東京大学)の初代造林学教授を務めた本多静六の存在を抜きには語ることができません。本多は日本国有鉄道(国鉄)の重役、渋沢栄一の同郷の後輩で、ドイツへの官費留学を終え帰国した後、渋沢に紹聘され、その後の鉄道林に大きな功績を残しました。本多は、地吹雪対策として、地吹雪発生箇所の線路沿いに針葉樹を植栽し、ふぶき防止林をつくることにしました。彼は、ドイツ留学の帰りに立ち寄ったカナダで、当時建設中のパシフィック鉄道の防雪林からこのアイデアを学んだと言われています。

このときに設置されたふぶき防止林のひとつ、現在の青い森鉄道線野辺地駅構内にある野辺地2号林の一角には、1940(昭和15)年に紀元2600年記念事業として、本多静六自身の書による「防雪原林」の記念碑が建てられました。さらに1960(昭和35)年には、当時の国鉄総裁、十河信二により鉄道記念物第14号に指定され、新たに「野辺地防雪原林」の石碑が設置されました。

「防雪原林」の記念碑

本多静六とは

1866(慶応2)年、埼玉県久喜市(当時は河原井村)生まれ。苦学の末1884(明治17)年、東京山林学校(現在の東大農学部)に入学。一度は落第するも首席で卒業し、ドイツに私費留学してミュンヘン大学で国家経済学博士号を取得しました。

日本最初の林学博士として日本の造林学・造園学の基礎を築くとともに、東京の日比谷公園や明治神宮の森など日本各地の数百に及ぶ公園設計にも携わってきました。

また、「4分の1天引き貯金」など独自の蓄財投資法と生活哲学により莫大な財産を築き、「蓄財の達人」という側面も持っています。退官を機に、匿名で財産のほとんどを教育、公共の関係機関に寄付したことでも知られています。1952(昭和27)年1月、85歳で逝去。

 

野辺地2号林の林内 新雪を抱えた約80年生のスギがひっそりと佇んでいる。

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